フランス革命と近代 秀作書評


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松浦義弘『フランス革命の社会史』山川出版社 (教育学部1年)


 最近までフランス革命の革命たる所以は、封建制を断絶して資本主義・自由主義経済の前段階を確立したことだという考えが主流であった。フランス革命はその経済的側面ばかりが誇張されていた。しかし著者は、そのような一面的なフランス革命論に疑問を抱き、フランス革命とはもっと複雑で多面的な事件ではなかったかという命題を投げかけた。本書は画一的なフランス革命観に対する挑戦とでも言うべき書である。

 本書は5章で構成されていて、第1章ではフランス革命を経済革命とみなす思想が何故生まれたかということについて言及している。筆者は、一時期もてはやされていた、歴史は物質的・経済的要因によって発展するというマルクス唯物史観の影響によりそういった考えが生み出されたと指摘し、マルクス唯物史観的なフランス革命観を一元的で視野が狭いと批判している。筆者は早くも旧来のフランス革命観への挑戦状を突きつけ、歴史は物質的・経済的要因のみならず、政治的・文化的要因によっても発展するのだという見解を表明したのである。

 第2章では、革命勃発の前段階について述べている。王は、固有の規則や慣習を持つ社団と呼ばれる団体を、特権を認める代わりに服従させ、特定の団体のみが恩恵を受けるような体制を敷いていた。しかし、政府は財政難に陥っており、莫大な金を必要とした。そこで政府は社団から金を借り、その見返りとして特権を拡大した。また、貴族に官職を売却した。結果社団や貴族の力が強くなり、王権に反抗するようになった。そして、18世紀頃から勢力を伸ばしてきたブルジョワジーが学校や読書会を設立したり、新聞や機関紙を出版したり集会を開いたりして、王制に反抗する文化を形成した。この頃から国家権力よりも個人に重点を置く考え方が始まったと筆者はこの章で述べている。

 第3章では、共和政への過程について述べている。第3身分は彼らが意見を主張出来る唯一の機関である全国三部会の召集を強く要求し、王は譲歩した。第1・2身分が身分別討議を主張するも第3身分の強硬な反発に合い、結果的に第3身分の代表者数が倍になり、全国三部会は国民議会に改称された。この潮流に乗って人権宣言が発布される。国王の権力が失われていく中、国王一家がフランスから逃亡して連れ戻されるという事件が起こった。この事件以来王の権威・信頼は完全に地に落ち、王政は停止され国王は裁判にかけられ処刑される。

 第4章では、ロベスピエールを中心とした革命政府の政策について述べられている。革命政府の課題は過去のフランスを否定する事と、民主的な国家に相応しい民主的な国民の育成だった。まずキリスト教を、不平等を生むものとして強く否定し、従来のグレゴリウス暦を自然の変化を表す名称の革命暦に変え、激しい反キリスト教キャンペーンを実施した。その他王政やカトリシズムの影響を受けたものを徹底的に排除し、それらを全て共和政的なものにすることのよって国民の生活はそれまでとは大きく異なったものとなった。

 第5章では、革命政府に対する国民の反抗とロベスピエールの恐怖政治について述べている。革命政府は国民に共和政・民主制がどれほど素晴らしいものかということを強く主張し、国民を民主的な人間に教育しようとした。しかし、急進的な政策は国民の反感を買った。筆者はその理由を急激な変化への単なる反発とはみなしていない。革命政府の「教育」に教育者と被教育者の間の不平等を見出し、革命の原則に反するものとみなしたからであると指摘している。国民の反抗に焦燥感を抱いた革命政府は恐怖政治に移行し、膨大な数の国民が反革命分子とみなされ処刑台に送られた。しかし独裁は長くは続かず、テルミドール9日のクーデターでロベスピエールは失脚し、翌日処刑される。これで独裁は終焉した。

 フランスは第1共和政が崩壊した後のナポレオン帝政以来当分王政が続くが、二月革命が勃発し、第2共和政が確立される。第2帝政になるが、その後第3共和政が確立され、現在のフランス共和国に至る。フランスは1789年の革命以前までは王国であり、一度として共和国であったことはなかった。実際、革命以前から国民は特権身分や王に様々に苦しめられてきたのに王政や貴族に反抗するということをしなかったし、ルイ14世像が民衆によって破壊されたのは革命後のことである。フランス国民は1789年革命によって主権在民という近代国家の原則を学んだのではないか。フランス革命は主権在民、資本主義、思想・表現の自由、個人主義という近現代社会では至極当然の概念の先駆けとなり、フランスのみならず世界中に近現代をもたらした事件であるといえるだろう。本書は、単なる経済革命に貶められていたフランス革命を多面的なものとして蘇らせ、我々の生きる現代の起源を考える指標とする、実に意義深い書であると言うことが出来るだろう。